2016年4月7日木曜日

アイシンAWの豊田理彰の件

トヨタ系幹部の豊田家御曹司、女子大生に内定と引き換えに肉体関係を強要…卑劣な手口 | ビジネスジャーナル

2015.11.27

トヨタ自動車グループで、主要部品の自動車用自動変速機(AT)やハイブリッドシステムの開発・生産を担当している「アイシン・エィ・ダブリュ(以下、アイシンAW)」(本社・愛知県安城市)で、とんでもない不祥事が起こった。

「不祥事」とは、同社製造本部副本部長の豊田理彰氏が今夏、就職を希望する女子大生に、内定との交換条件に肉体関係を迫ったとされる問題だ。その女子大生や保護者がすでに、会社と理彰氏個人を相手に訴訟の準備に入っている。

この理彰氏は、トヨタの創業家に連なる人物で、トヨタグループの礎を築いた豊田佐吉翁が大叔父にあたり、トヨタグループの総帥・豊田章男トヨタ社長とは親戚である。

「佐吉翁には、平吉氏、佐助氏の2人の弟がおり、理彰氏は、佐助氏の長男でアイシン精機社長などを務めた稔氏の子息。ただ、稔氏の本妻の子ではなく、高級クラブのホステスとの間の子どもで、のちに稔氏が認知した」(トヨタ関係者)

アイシンAWはトヨタの下請けといえども、2015年3月期は売上高1兆2727億円を計上する巨大グローバル企業。社外取締役には内山田竹志トヨタ会長、監査役には須藤誠一トヨタ副社長、佐々木眞一元トヨタ副社長ら錚々たる顔ぶれが並ぶ。理彰氏の肩書は製造本部副本部長で、社内の待遇を示す階級は「参与」。役員直前のポストだが、犯した行為はとても名門大企業の幹部が取る行動とは思えず、おぞましく卑劣だ。

理彰氏と女子大生のやり取りはチャットツール「LINE」上でも「証拠」として残っており、「あなたの能力ではうちの会社には受からないから、私と特別な関係を持てば、親戚扱いにして入社させてやる」といった趣旨の発言をし、嫌がる女子大生に迫っている。そして、その女子大生が断ると、「採用は絶対にない」「友達を紹介してください」といった返事を送っている。強要とみられても仕方ない行為といえるだろう。

この問題については、すでに雑誌「週刊金曜日」(金曜日)が報じており、同誌によると、女子大生がアイシンAWの面接試験に落ちた直後に、父親宛に匿名の手紙が届き、娘を誹謗中傷し、脅迫と見られても仕方ない文面が書かれていたという。卑劣極まりない。 問われる一流企業としての「責任」

この理彰氏、「甘やかされて育って、大人になっても自制心が利かない。仕事にも前向きではない。会社も創業家ということで特別扱いして、ちやほやしている」と指摘する名古屋の財界関係者もいる。私立大学卒で年齢も40代前半だが、特別扱いの昇格によって役員直前のポストに就いている。

今後、訴訟や社内調査などにおいて理彰氏の行為が事実と認定されれば、通常の企業であれば懲戒処分は免れないし、場合によっては懲戒解雇もあり得るが、おそらくアイシンAWはうやむやにして握り潰すだろう。会社側にも甘やかせてきた道義的責任は十分にあるのではないか。

現在、トヨタはアベノミクスのよる円安の恩恵を受けて、業績は絶好調で過去最高益を更新している。このため、トヨタグループの下請け企業もその恩恵にあずかる一方で、グループ内には「緩み」「驕り」も出始めている。系列販売店でも、名古屋の高級ホテルで常軌を逸した懇親会を実施して、急性アルコール中毒の社員が続発、ホテルから今後の出入り禁止の要請もあった。理彰氏が取った行為も、自分は創業家だから、自分は日本経済をけん引しているトヨタグループの幹部だから、何をやっても許されるという「驕り」以外の何物でもない。

トヨタグループには、日々仕事に汗水をたらし、こつこつ努力を積み上げるタイプの社員も多い。そうした一人ひとりの努力の積み重ねが今の栄華を築いてきた。しかし、理彰氏の取った行為は、こうしたこれまで努力してきた一人ひとりの従業員の顔に泥を塗るに等しい行為で、会社のイメージも大いに損なわせる。

女子大生に性的関係を要求――アイシンAW幹部が退職 | 週刊金曜日ニュース

2015年12月15日11:18AM

小誌11月6日号でジャーナリストの成田俊一氏が執筆した記事「トヨタ系列企業幹部による就活女子大生セクハラ事件」に関して、採用と引きかえに女子大生に肉体関係を要求していたアイシン・エィ・ダブリュ株式会社(川本睦社長、以下アイシンAW)の参与兼製造本部副本部長の豊田理彰氏が、11月16日付で同社から処分をうけ、同日付で退職していたことがわかった。

成田氏がアイシンAWに電話取材をした10月20日、同社は成田氏に「(豊田氏)個人のことであり、会社とは一切関係ありません」と答えていた。しかし他メディアでも報じられ大きな話題になって以降の11月30日に小誌が聞くと、「(成田氏から電話をうけた時点では)内容を把握していなかった。その後、調査をしたところ、豊田理彰の言動は就業規則等に明らかに違反しており、社内ルールにもとづいて11月16日付で処分を下した」のだそうだ。自主退職か懲戒解雇かについて聞くと「処分の内容は言えない」のだという。

豊田氏は、アイシンAWの入社試験を受けている女子大生A子さんに肉体関係を要求し、A子さんがそれを断ると、LINE上でこんなメッセージを送っていた。

〈僕と関係がもてない以上、僕もあなたを自分の親類として会社に入れることはできませんので、最終は諦めてください〉

アイシンAWによると、豊田氏に人事権は一切なかった。

関係者によれば、豊田氏はトヨタ一族の直系だという。トヨタグループ創業者の豊田佐吉(1867~1930年)は大叔父にあたり、理彰氏は佐吉の弟・佐助の孫に当たるそうだ。

アイシンAWは「女子大生にご不快な思いをさせてしまったことや世間を騒がせてしまったことを重く受け止める」としながらも、女子大生本人に謝罪する予定はないという。

アイシンAWを提訴 元就活生「関係迫られた」:社会:中日新聞(CHUNICHI Web)

2016年4月5日 09時00分

アイシンAWを提訴 元就活生「関係迫られた」

トヨタ自動車系の大手部品メーカー、アイシン・エィ・ダブリュ(AW、愛知県安城市)の昨年度の採用試験をめぐり、同社幹部(当時)の男性(43)から合格を条件に不適切な関係を迫られるなどして精神的苦痛を受けたとして、県内の20代の元女子大生が、男性と同社に連帯して550万円を支払うよう求める損害賠償請求訴訟を名古屋地裁に起こした。男性には単独で別の不法行為もあったとして、さらに55万円の支払いを求めている。

関係者によると、男性は、トヨタグループ創始者豊田佐吉氏(故人)の兄弟の孫に当たり、当時は製造本部副本部長だった。アイシンAWは昨年11月、この問題に関し男性の不正が社内調査で確認されたとして、懲戒解雇にしている。

訴状によると、大学在学中に同社を第1志望に就職活動をしていた女性は昨年、アルバイト先で男性と知り合った。同8月の筆記試験に合格し、一次面接の直前、身分を明かした男性に「筆記試験は合格ラインに達していなかったが、僕の一言で受からせた」などと言われて食事に誘われ、最終面接にかけて繰り返し面会を求められたと主張。

女性は「男性はトヨタの創業者一族の1人であることを利用し、採用試験の合格の見返りに男女関係を迫り、拒絶すると不合格にされた。会社は管理責任などがあった」と訴えている。

男性は取材に「酒の席での軽いやりとりで彼女に妄想させてしまったことについては自覚が足りなかった。しかし、男女関係を求めるつもりはなかったし、便宜を図るつもりもなかった。会社側には(不合格を)指示していない」と反論。アイシンAW広報部は「訴状が届いておらず、お答えできない」としている。

就活女性「合格見返りに関係迫られ」アイシンAWを提訴:朝日新聞デジタル

2016年4月5日21時02分

トヨタ自動車系の有力部品メーカー「アイシン・エィ・ダブリュ(AW)」(愛知県安城市)への入社を志望していた県内の20代の元女子学生が、同社の40代の元幹部から採用の見返りに不適切な関係を迫られたなどとして、男性と同社を相手取り、慰謝料計600万円の支払いを求めた損害賠償訴訟を名古屋地裁に起こしたことがわかった。3月25日付。

訴状などによると、元幹部はトヨタ創業家一族で、元製造本部副本部長。県内の大学に在学していた女性は同社を第一志望に就職活動をしており、昨年7月下旬、アルバイト先で元幹部と知り合った。元幹部は8月、「筆記試験通ったね。ちょっと合格ラインに達していなかったが、僕の一言で、受からせたよ」と食事に誘い、その後、何度もメールやLINEで関係を迫ったという。

女性が断ると、最終面接間近の同月30日、「うちの会社の内定は絶対にさせないので、どこか他をあたって下さい」とメールが届き、9月に不採用になった。

元幹部は、自動織機の発明で知られるトヨタグループ創始者、故豊田佐吉氏の兄弟の孫。アイシンAWは昨年11月、この問題に関連して元幹部を処分し、会社を退いたという。

代理人弁護士は「立場を利用し、男女関係を迫っており社会的に許されない。試験の成績を知っていることから会社の関与もあった」と話し、同社の管理責任についても問題視している。同社広報は「訴状が届いていないのでコメントは差し控えたい」とした。

この「佐吉翁には、平吉氏、佐助氏の2人の弟がおり、理彰氏は、佐助氏の長男でアイシン精機社長などを務めた稔氏の子息。ただ、稔氏の本妻の子ではなく、高級クラブのホステスとの間の子どもで、のちに稔氏が認知した」(トヨタ関係者)っていうのがBusiness Journalでしか見られないのが気になる。

非中国なハニトラ? 裁判で明らかにな…るんかな。

豊田理彰@アイシンAW

豊田理彰@熱・電気エネルギー技術財団が嵌められた理由

新たなエネルギーには期待。↓もその一環か。

パワー3倍のリチウムイオン電池、開発に成功 : 科学・IT : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

トヨタ自動車と東京工業大学などの研究グループは、従来の3倍以上のパワーがあり、大幅に小型化できるリチウムイオン電池の開発に成功したという研究成果を発表した。

電極間の電解質に特殊なセラミック粉末を使った。論文が英科学誌「ネイチャー・エナジー」に掲載された。

電解質にセラミックの固体を使う電池は「全固体セラミック電池」と呼ばれる。液体を使う従来のリチウムイオン電池と違って液漏れがなく、パッケージをコンパクトにできるが、十分な電流を流せるセラミックが見つかっていなかった。

研究チームはシリコンとリチウム、リン、硫黄、塩素の配分を工夫し、電流が常温で3倍、100度で10倍になるセラミックを開発し、電解質に採用した。理論上は、充電時間も短縮できるという。論文で公表した電池は厚さ1ミリ・メートル以下で、実用化するには、何層も重ねて十分な容量を持たせる必要があるという。

2016年04月07日 07時18分

「これ以上の核兵器は不要」=トランプ発言に反論-米次官補

「これ以上の核兵器は不要」=トランプ発言に反論-米次官補:時事ドットコム

【ワシントン時事】ラッセル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)は4日、米大統領選の共和党候補指名争いで首位を走るドナルド・トランプ氏が日韓の核保有を容認していることについて、「世界はこれ以上の核兵器を必要としていない。核拡散は誰の利益にもならない」と反論した。

議会で開かれたシンポジウムの質疑応答で答えた。ラッセル氏は「日米韓の歴代指導者は、米国の『核の傘』が彼らや周辺国の安全保障と安定の最善の保証であることを認めてきた」と主張。さらに「米国を含む全ての指導者が、戦略地政学的な情勢を踏まえて異なる結論を出すとは想像できない」と疑問を呈した。(2016/04/05-10:44)

後処理とかからして核からTFAPみたいなクリーン兵器(?)への移行が望ましいのでは、とか書いてみる。まあ…核がNGってことになったら次はバイオでしょうけど。

ローマ:4世紀壁画から青銅硬貨 日伊チームが発見

ローマ:4世紀壁画から青銅硬貨 日伊チームが発見 - 毎日新聞

毎日新聞2016年4月5日 07時30分(最終更新 4月5日 07時30分)

壁画から取り出された青銅硬貨=山田順・西南学院大准教授提供

【ローマ福島良典】古代ローマ遺跡コロッセオ近くの初期キリスト教時代の礼拝室跡から4世紀の壁画が発見され、描かれた人物像の左目からローマ帝国の青銅硬貨が出土した。キリスト教普及以前から伝わる習俗を示している可能性があり、発掘の日伊共同チームを率いる山田順・西南学院大准教授(53)は「ローマが多神教社会からキリスト教一神教社会に変容する過程を解明する上で貴重な資料だ」と話している。

壁画は昨年、コロッセオ南東約800メートルの「サン・ジョバンニ病院」の地下約7メートルの発掘現場で、二つの壁に挟まれた幅約50センチの空間から見つかった。

縦1.2メートル、横2.5メートルの白いしっくいの上に、ぶどうを収穫し、ワインを造るために踏みつぶす4人の男性の姿が描かれていた。1人の左目の位置のしっくいから直径約1センチの青銅硬貨の一部が露出しているのを山田氏が発見した。

初期キリスト教考古学を専攻する山田氏は「(キリスト教以前の)古代末期の地中海世界では、冥界に渡る船賃として硬貨を死者の目の上に置いて埋葬する習慣はあったが、居住空間にある壁画の人物像の目の位置に埋め込まれていた例は報告されていない」と指摘する。硬貨は昨年12月に取り出され修復中で、流通期間が分かれば壁画作成時期の特定に役立つ。

キリスト教はコンスタンティヌス帝のミラノ勅令(313年)で公認されたが、庶民が信仰を深めた過程は不明。現場からは、3世紀の小鳥の壁画▽4世紀のキリスト教壁画▽5〜6世紀のキリストと聖人の壁画も発掘されており、山田氏は「庶民の生活領域では(多神教の)異教的なもの、キリスト教的なもの、中間的なものが混在していたはずだ」との仮説を立てている。

成果は、ローマのドイツ考古学研究所で2月23日に開かれた古代末期考古学研究会で報告された。

同研究所のノルベルト・ツィンマーマン副所長は「壁画はローマ社会の変容を物語り、硬貨は興味深い新発見。キリスト教化の始まりの解明に新たな光をあてる研究だ」と高く評価している。

旧約の頃? 新約の頃?

北朝鮮もタックスヘイブン利用=英国人関与、核開発費調達か-パナマ文書で英紙報道

北朝鮮もタックスヘイブン利用=英国人関与、核開発費調達か-パナマ文書で英紙報道:時事ドットコム

北朝鮮で約20年の勤務歴を持つ英国人男性が2006年に出資した会社が、タックスヘイブン(租税回避地)の英領バージン諸島でフロント企業を設立し、核・弾道ミサイル開発に関与していたことが分かった。タックスヘイブン利用者の情報を暴露した「パナマ文書」を基に、英ガーディアン紙が7日までに報じた。米政府は13年、出資会社とフロント企業を制裁対象に加えており、北朝鮮は核・ミサイル開発の資金調達を目的にバージン諸島を利用していたとみられる。

この英国人男性はナイジェル・コーウィ氏。ガーディアンなどによると、コーウィ氏は1962年に生まれ、英エディンバラ大学を卒業後、英金融大手HSBCの香港支店などで約10年間勤務。中国語や韓国語を操り、95年ごろから平壌の銀行で働き始めた。米財務省が13年6月に制裁対象に加えた北朝鮮の大同信用銀行(DCB)で98年から11年まで働き、最高経営責任者(CEO)も務めたという。(2016/04/07-15:23)

ドワイト・D・アイゼンハワーと核兵器・原発

アイゼンハワー

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なぜ津波到達までに緊急炉心冷却装置は起動されなかったのか(上) 『福島第一原発 メルトダウンまでの50年』の著者・烏賀陽弘道氏に聞く|DOL特別レポート|ダイヤモンド・オンライン

2016年4月7日 烏賀陽弘道

原発の立地地域では、多額の補助金や交付金などで豪華な“ハコモノ施設”が建てられてきた。各地に点在する「原子力発電への理解を訴えるスローガン」は、地元の人には見慣れた日常風景の1つだが、東日本大震災以降の福島県では立ち入りが制限されてゴーストタウン化が進む。誰も手入れする人はいない Photo by Hiro Ugaya

うがや・ひろみち

1963年、京都府生まれ。京都大学経済学部を卒業後、朝日新聞社に入社。5年間の新聞記者生活を経て、91年~2001年は「AERA」編集部に籍を置く。米コロンビア大学の国際公共政策大学院に自費留学し、国際政治と核戦略を学ぶ。03年に朝日新聞社を退社し、フリーランスのジャーナリスト兼写真家となる。11年3月の東日本大震災以降は、被災地を回って“原発災害”の実態を調査・記録し続ける。著書・共著に、『「朝日」ともあろうものが。』(徳間書店)、『俺たち訴えられました!』(河出書房新社)、『報道の脳死』(新潮社)、『原発事故 未完の収支報告書 フクシマ2046』(ビジネス社)などがある。Photo by Shinichi Yokoyama

世の中では忘れている人も多いと思われるが、2011年3月11日午後7時18分に政府が発表した「原子力緊急事態宣言」は、5年以上経つ16年4月現在でも解除されていない。東京電力福島第一原発事故で被爆した人は約23万人、避難生活を続けている人は約10万人いる。世界で3例目となったメルトダウン(炉心溶融)事故は、今も未解明の問題を残す。そんな中、1950~60年代の日本の原発黎明期を知る当事者を探し当て、取材を重ねた烏賀陽弘道氏に話を聞いた。(聞き手/「週刊ダイヤモンド」編集部・池冨 仁)

――5年近くもの月日を費やして書かれた『福島第一原発 メルトダウンまでの50年』(明石書店)は、過去の歴史を淡々と掘り起こす作業を通じて「東京電力が、“どのような場所なら原発を建ててもよい”という立地基準を国が定める前に、独自の基準で建設地を選定していた」など、ショッキングな話がたくさん出てきます。電力会社が先に決めたというのは、どういうことなのですか。

1950~1960年代の日本における原発黎明期の政策を調べていくと、驚くような事実がいくつも出てきます。私は「福島第一原発事故の原因は、50年以上前からあったのではないか」と考えるようになりました。50年以上かけて、さまざまな原因が蓄積された結果として、今回の事故に至ったのではないかということです。例えば、福島第一原発の2号機は、11年3月に起きた東日本大震災の前年、10年6月にも「原子炉を冷却するための電源を失ったことで、炉内が空焚きになり、燃料棒が露出する寸前に至る」という事故を起こしています。

順番にお話ししますと、国(当時の原子力委員会。現原子力規制委員会)が「原子炉立地審査指針」を定めたのは52年前の1964年(昭和39年)5月です。一方で、東電が福島県の大熊町と双葉町に跨る旧陸軍の航空基地だった広範な土地を確保する方針を決めたのは60年(昭和35年)8月。当時の福島県知事が積極的に受け入れたことで原発の誘致計画が正式発表されたのが同年11月。運転開始は71年3月です。福島第一原発の立地に関しては、国からは何の規制も指導もなかったのです。原発の歴史を紐解いていくと、当時は「国がルールを決めて、電力会社を監督する」という関係にはありませんでした。

私が調べた限りでは、そうした“立地が先に決まった原発”は、東電の福島第一原発以外にも複数あります。研究炉を除くと、日本原子力発電(げんでん)の東海発電所(茨城県。66年に運転開始)、同じく敦賀発電所(福井県。70年に運転開始)、関西電力の美浜発電所(福井県。70年に運転開始)などがそうですね。関電の美浜発電所は、「人類の進歩と調和」を掲げて70年に大阪で開催された日本万国博覧会に送電したことでも知られています。

――東電は、1955年(昭和30年)頃から、原子力発電を採用する方針を決めていたと言われます。なぜ当時は、国と事業者の関係は逆転していたのですか。

私も、そういう疑問を抱きました。そこで、50~60年前の原発黎明期の事情を知っている人で、まだ生きている人がいないか調べました。すると、54年に米国政府の招きでアルゴンヌ国立研究所に留学し、原子力発電の技術を学んで帰国した“最初の2人の留学生”のうちの1人、伊原義徳氏が存命であることが判明しました。もう1人は、元東京大学教授の大山彰氏(故人)でした。

1924年生まれの伊原さんは、旧通商産業省(現経済産業省)で原子力発電・エネルギー関連の仕事を手掛け、最後は旧科学技術庁(現文部科学省)の事務次官になった“日本の原発の父”の1人です。とはいえ、電力業界の秘密主義を考えれば、断られることも覚悟していました。そこで、伊原さんのご自宅に「原発黎明期の歴史を調べています。ぜひ、会ってください」という趣旨のお手紙を出したところ、あっさり快諾してもらえたのです。すでに90歳近かった伊原さんを探し出して、正面からアプローチしたのは私だけだったそうです。

詳細は本を読んでほしいのですが、伊原さんは「(国の原子炉立地審査指針の策定よりも福島第一原発の立地が決まるほうが先だったことについて)当時はそんなものだった」と振り返ります。背景には、米国がドワイト・D・アイゼンハワー大統領の時代(53年1月~61年1月)に、過去には秘密にしてきた核兵器開発の技術(≒原子力発電の技術)を同盟国に輸出・解放することを通じて、米国の仲間を増やそうと大きく方針を変えたことがあります。東西冷戦が強まる中で、日本は世界で唯一の被爆国だったのですが、「世界の潮流に遅れてはならない」と、政治的に前のめりで原発の導入を急ぐ気運があったのです。

私はまた、もう一人のキーマンの話を聞きました。東電の元副社長で、福島第一原発の立地を担当した豊田正敏氏です。こちらも本に詳しく書きましたが、伊原さんと豊田さんの証言をまとめると、「当時は原発に関する知識や技術は、政府や原子力委員会の学者よりも電力会社のほうが先を行っていた」ことから、「福島第一原発の立地が政府のルールより先でもおかしくなかった」となるのです。原発黎明期の技術者は「原発は危ないもので、いつ暴走するか分からない。そうなったらどうするか」という思いで、世界でもまだ技術が確立されていなかった原発を「事故は起こり得る」という前提で考えていたそうです。

原発をめぐる損害保険なども、当時の保険業界では「(いくら国策とはいえ)大事故が発生した場合は、民間企業ではとても負担しきれない」という判断がなされたのですが、英国や米国の原発保険のやり方を真似るようにして、最後は国が負担することなどが“後から”整備されて行きました。後から、です。

東電の元副社長だった豊田さんは、福島第一原発で事故が起きた直後に東電の本社に電話をかけて、「日本には原発事故に関して知見を持つ人物がいるから、そういう専門家に話を聞くべきだ」と話しても、勝俣恒久会長以下の経営幹部は取り合ってくれなかったそうです。技術系の元副社長だったというのに(笑)。

“第3のシステム”もまったく生かされず

――烏賀陽さんの本では、第1章は「政府内部3・11のロスタイム」として、東日本大震災が起きた当日の政府内の動きを検証しています。菅直人内閣は、非常事態だったにもかかわらず、テレビ向けに閣議をやり直したそうですね。

はい。この話は、当時の経済産業大臣だった海江田万里氏だけが、回顧録の『海江田ノート 原発との闘争176日の記録』(講談社)に書いています。

午後2時46分に、東日本大震災が発生した直後の2時50分には官邸対策室が設置されて緊急参集チームに召集がかかりました。そして、第1回東北地方太平洋沖地震緊急災害対策本部会議がスタートしたのは午後3時37分でした。場所は官邸の地下にある危機管理センターです。時間は約20分だったそうですから、そこまでは迅速な動きで“事前に決められた行政手続き”の通りです。

ところが、閣僚の一人が「ここは(テレビの)カメラが入っていないから、カメラの前でもう一度、緊急災害対策本部会議を開いたほうがよい」と言ったそうで、当時の枝野幸男官房長官が「閣僚は全員、官邸4階の大会議室に集まってくれ」と指示を出した。それで、海江田さんは、「え? それって何?」と違和感を覚えながら、大会議室に向かったそうなのです。要するに、同じ内容の会議をもう一度テレビ向けに繰り返したという話で、海江田さんは「移動も含めて約30分の時間の無駄だった」と、回顧録の中で怒っていたのです。

これは、事故調査委員会の報告書や新聞報道などにも出ていない話だったので、私は海江田さんに話を聞きに行きました。海江田さんは、当時、経産大臣になって2ヵ月と日が浅かったのですが、原発を預かる官庁のトップとして、どのように感じていたのかを振り返ってくれました。でも、「誰が閣議をやり直す指示を出したのか」については、「いや、ちょっとそれは……言えないな」と目を閉じてしまいました。もしかしたら、「察してください」というシグナルだったのかもしれません。海江田さんは、回顧録と同様に「(閣議のやり直しは)時間の無駄だった」と率直に批判していました。

一方で、菅さんの回顧録である『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』(幻冬舎)には、テレビ向けに緊急災害対策本部会議が2回開かれたことにはふれず、簡単に済ませています。また、当時の官房副長官だった福山哲郎氏の『原発危機 官邸からの証言』(筑摩書房)は、記録としては非常によいのですが、所々でボス(菅さん)をかばっているのです(笑)。そこで、菅さんにも正面から取材を申し込んだのですが、残念ながら返事はありませんでした。

――福島第一原発事故は、なぜ原子炉が3基もメルトダウンするような大事故になったのか。烏賀陽さんの本では、その原因について、政府や国会、東電、民間で計4つあった事故調査委員会のどれもが素通りしたままの盲点が残っていると指摘しています。ズバリ言って、盲点とは何ですか。

本の核心となる部分です。それは、「東日本地震が発生してから、津波が福島第一原発に到達するまでの約50分間に、最初に起動しておくべきだった原子炉の緊急冷却装置を起動しなかったのはなぜか」という根本的な問題です。

簡単に言うと、原発には、大事故の際に大量の水を入れて燃料棒を強制的に冷やす「緊急炉心冷却装置(ECCS)」という強力な設備があり、まずそれを動かすことが世界のルールになっています。ところが、福島第一原発事故では、なぜか控えという位置付けで、ECCSの約10分の1の能力しかない「非常用復水器」(IC)と「原子炉隔離時冷却系装置」(RCIC)が動いた。しかも、津波の影響で全交流電源を失ってからは、今度は主力のECCSを動かすことができませんでした。この辺の事情は、本でも時系列で詳細に書いています。

実は、日本の電力業界内では「電源喪失は30分以内に収まると考えてよい」というルールの変更がなされていたのです。かつての「原発では事故は絶対に起こらない」という“安全神話”の中で、ECCSを動かせば、「大事故だ!」と反原発派は勢いづきますし、原子炉を水浸しにすれば、原発の寿命が縮まります。電力会社には「それは避けたい」という経済的な動機がありました。

だからこそ、電力業界は、なるべくECCSを使わずに済むようにルールを変更して経費削減を図っていたのですが、福島第一原発事故で裏目に出てしまいました。最初からECCSを使っていれば、1979年の米スリーマイル島原発事故、86年の旧ソ連(現ウクライナ)で起きたチェルノブイリ原発事故に続く、人類史上3度目となるメルトダウンは起こらず、敷地外に放射性物質をぶちまけるようなことはなかったかもしれない。これは、私の意見ではなく、原発のメカニズムに詳しい技術者たちが「人災だ」と指摘している点なのです。

また、もう一つ重大な過失があります。国は、原発事故の際に放射性物質が飛散する方角などを予測するシステム「SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワーク)」や、原子炉の温度や圧力をモニターしてデータを送信する「ERSS(緊急時対策支援システム)」を持っていました。さらに、この2つのシステムが作動しない最悪の事態を想定し、国内のどこの原発でどのような事故が起きても対応できるシミュレーション・ソフト「PBS(プラント事故挙動データシステム)」も持っていたのです。言わば、第3のシステムです。

3月11日の夜には、PBSの分析データ(なぜか、最も危険な状態だったと見られた1号機ではなく、2号機のものだけだった)が首相官邸に届けられていたのですが、専門家であるはずの原子力安全・保安院の幹部は分析データにメルトダウンへと至るシナリオが書いてあったのに、首相や経産大臣に対してまともな助言ができなかったのです。専門家としての責務を果たしていません。

私は、四国電力の元エンジニアで、原子力安全基盤機構(JNES)に出向してERSSの改良と実用化を担当していた松野元氏にも話を聞きましたし、松野さんの紹介で東芝からNUPEC(JNESの前身)に出向してPBSのシステム設計などを担当した永嶋國雄氏にも会いに行きました。

本では、原発で事故が起きた時のために実効性のある防災システムの開発に取り組む専門家に対して電力会社から圧力があったことなども書いていますが、実態を知れば知るほど、それはもう“痛恨の極み”でした。「なぜ、そうなってしまうのだ!」と大声で叫びたくなるくらい、残念なことばかりなのです。

>>後編『なぜ津波到達までに緊急炉心冷却装置は起動されなかったのか(下)』に続きます。

なぜ津波到達までに緊急炉心冷却装置は起動されなかったのか(下) 『福島第一原発 メルトダウンまでの50年』の著者・烏賀陽弘道氏に聞く|DOL特別レポート|ダイヤモンド・オンライン

2016年4月7日 烏賀陽弘道

1979年、世界初となる「メルトダウン(炉心溶融)事故」を起こした米スリーマイル島原発は、ニューヨークから約270キロメートル、ワシントンD.C.から約160キロメートルに位置する。当時、事故を起こした2号機は廃炉となったが、事故を起こさなかった1号機は85年に再稼働して今も運転が続けられる Photo by Hiro Ugaya

>>(上)より続く

原発がない滋賀県も福井県と運命共同体

――国は、福島第一原発事故を受けて、さまざまなルールを変更しています。3・11の教訓は、近隣住民の避難対策が大きかったはずですが、国は新指針においても「被害は30キロメートル圏内に収まる」というシナリオを前提にしています。その後の住民の避難対策については、どう考えていますか。

そうした国の住民避難対策に疑問を抱いた数少ない地方自治体の首長が、前滋賀県知事だった嘉田由紀子氏です。現在は、びわこ成蹊スポーツ大学学長を務めていますが、私は嘉田さんにも話を聞きに行きました。現在も東北の被災地に通う私には、住民の避難対策における有効性は他人事ではないからです。

滋賀県には原発は1つもありません。ですが、隣の福井県には敦賀湾沿いに計15基の原子炉(建設中の高速増殖炉「もんじゅ」を含む)が集中しており、“原発銀座”と呼ばれています。しかも、福井県と滋賀県の境にある日本原電の敦賀発電所は、滋賀県側から13キロメートルしか離れていません。福島第一原発事故が起こる前までは、滋賀県には原発事故への備えがありませんでした。しかし、福島で起きた事故では、30~50キロ先まで放射性物質が飛散したことを滋賀県に当てはめれば、琵琶湖に降り注ぐことになります。となると、京都府や大阪府の上下水道に影響を及ぼします。そこで、滋賀県は、国に頼ることなく、独自のシミュレーションを基にした避難計画を策定したのです。

――嘉田元知事は「立地地元」ではなく、「被害地元」という新しい概念を発案しました。滋賀県は、43キロ圏内という独自の避難計画をまとめています。

はい。単に、コンパスで円を描いて30キロという想定はおかしいという判断です。放射性物質は、樹木の年輪のように同心円状には飛ばないからです。

嘉田元知事は、住民の避難対策を考える上で、最も矛盾していることとして、指示・命令系統が2つあることを指摘しています。例えば、災害などの「地域防災計画」(災害対策基本法の対象)では避難指示を出すのが市町村長であることに対し、「原子力災害」(原子力災害特別措置法の対象)となると総理大臣になることです。しかも、前者が総務省の管轄である一方で、後者は経産省の管轄下にありました。現在は、原子力規制委員会として環境省の管轄に変わっていますが、総務省と環境省が横の調整をしていないために現場は動けない。

さらに、滋賀県は「原発の立地地元ではない」という理由で、文科省のSPEEDIのデータをもらえませんでした。嘉田元知事は、霞が関で直談判したそうですが、「避難計画にはSPEEDIのデータを使わない」などよく分からない理屈を持ち出して動いてくれない。滋賀県が独自の避難計画を発表した後になって、ようやく文科省はSPEEDIのデータを出してきたそうです。

政府が出す事故対策には「人工的な境界線に固執して、自然現象をむりやり当てはめようとする発想」が頻出します。でも、それでは有効性のある解決策にはならない。福島第一原発事故から丸5年が経った今でも、立地地元ばかり重視する国の姿勢は変わっておらず、縦割り行政の弊害が残り続けています。

例えば、福井県内の原発を再稼働させるために合意が必要となる安全協定では、滋賀県は“蚊帳の外”に置かれています。仮に、滋賀県が反対したとしても、福井県は再稼働できるのです。これは、隣接地域で運命共同体にある実態を考えれば、相当に奇妙な決まり事ではないでしょうか。

本を読んで感じたことはSNSで発信してほしい

――烏賀陽さんは、対談本を含めれば、これまでに国内外で計7冊の原発関連書籍を出してきました。ご自身は、原発の是非をどう考えているのですか。

私は、原発否定論者ではありません。原発というものは、「安全に運転されている限りは、有益なエネルギー源であるはずだ」と考えてきました。その前提が、福島第一原発事故で崩れてしまったことから、このまま日本はどうなってしまうのかと不安を覚えました。私は、米国の原発関連施設などの取材もしてきましたが、日本のクローズドな現状を考えると、暗澹たる気持ちになります。

日本の電力会社の立場になってみると、「どうせマスコミは悪いことしか注目しないし、書かない。だから、本当のことは教えないことにしよう」と考えるようになります。そもそも、原発は、軍隊と同様に権力を持つ組織でなければ扱えません。権力を持つ組織は、どうしたって秘密主義になるのです。米国でもスリーマイル島原発事故が起こるまでは、秘密主義だったそうです。しかし、今日では、外国人であっても、かなりのところまで情報が開示されます(安全保障上の理由から、米国人でなければ立ち入り禁止という施設もあります)。

そう言えば、朝日新聞の記者だった20代の頃に、中部電力の浜岡原発(静岡県)の見学会に参加したことがあります。当時はエネルギーの知識がなかったこともあり、私は「原子炉の中で原子爆弾の爆発と同じことが起きているなんてすごいですね」と発言したら、当時の所長から「原爆と原発を一緒にするとは何事か!」と烈火のごとく怒られました。私は、コントロールする技術力の高さに敬意を表したつもりだったのです(苦笑)。後に私は、米国で、核兵器と原発は“双子の兄弟”であることを学びましたが、日本では違うのです。

ところで、私は今回の本で、(1)1次情報に当たる、(2)現地に行く、(3)当事者に会う、というベーシックな取材方法に徹しました。その結果、「こういう事実が分かりました」という数々の判断材料を提示しています。私は、ジャーナリストの仕事とは、ジャーナルする、すなわち「記録に残すこと」が重要であると考えています。やはり、集めてきた事実に語らせたいと思っています。

現在はフリーランスなので、国内外の取材費はすべて自分持ちになる生活は楽ではないですが、丹念に事実を積み重ねることによって埋もれていた“真相”を掘り起し、世の中に対して問題提起してきました。あくまで私は、「このままでよいのか?」という材料をストレートに提示しているに過ぎません。

5年越しで本を仕上げた著者としては、読者にツイッターやフェイスブックなどのSNSを使って、「私はこの本をこう読んだ」という感想などを世界に向けて発信してほしいのです。声を上げるというより、声を出すという感じで、一人ひとりが“我が事として考える”ことが重要なのです。「私の意見は異なるぞ」ということでも、「烏賀陽の顔が嫌いだ」ということでも構いません(笑)。

日本の原発は、平和利用という側面だけを抜き出して推進された“歪(いびつ)な状態”で始まりましたが、すでに存在している設備です。いきなりゼロに減らすことは現実的ではないでしょう。しかし一方で、福島第一原発事故で被爆した人は約23万人もいて、今も約10万人が自宅に帰れない生活を送っています。被害の規模は、大都市近郊の中型都市が丸ごと1つ消えてしまったのと同じです。

丸5年を迎えた今年も、3月11日前後は東日本大震災を振り返る報道が多々ありましたが、実は今も被災地を回って取材する記者は激減しています。私の願いは、「2回目の福島原発事故を起こさない」ことです。そのために原発災害を記録し続けています。過去の教訓を未来に生かすために書き続けています。

本を手に取った読者は、ぜひ自分で感じたことをSNSで発信してください。

ドワイト・D・アイゼンハワーが気になったのでメモ。

本を読んで感じたことはSNSで発信してほしいというのが気になる。誤情報を拡散したい?

広島中3自殺問題

Remember 一億玉砕!(爆wwwwww

西本泰志@ETS@広島県立安芸府中高校 卒

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広島「進路指導」中3自殺 同級生は先生含め大人に不信感│NEWSポストセブン

2016.03.31 16:00

2015年12月、広島県府中町立府中緑ケ丘中学校3年の吉田雄一くん(仮名・享年15)が誤った万引き記録による生徒指導が原因となり、自ら命を絶った。発端は、2015年11月に行われた進路に関する生徒指導だった。雄一くんは第一志望が公立高、第二志望は私立高だったが、私立は「専願受験」を希望していた。出願には、学校長の推薦が必須とされる。雄一くんは中1の時の素行によって、その「専願が認められない」という結果が担任から伝えられた。

同校ではこれまで、3年生の1年間に触法行為があったか否かを推薦の基準としていたが、昨年11月より改定。校長判断により、1年生以降のすべての触法行為が対象となった。雄一くんには中1の時に万引きをした記録が学校の電子データにあり、それを理由に推薦が許可されなかった。

しかし、この記録は誤り。万引きをした生徒の名前が誤って雄一くんの名前でデータに入力され、その後に誤りが発覚したが、データは修正されることなく、ずさんに放置され、この誤った記録により、「専願はできない」と伝えられた。保護者との三者面談が行われる日、雄一くんは自宅で、たったひとり、命を絶った。

推薦入試ができなくなったからって死ななくても、高校受験の先にはまだいくらでも人生を挽回できるチャンスがあるのに、何も死ぬことはないじゃないか──そんな思いを胸の一端に女性セブンは広島へ向かった。

広島市に隣接する人口5万人の府中町は、施設や病院も整い、広島市のベッドタウンとして人気がある土地。

卒業式がすでに終わった緑ケ丘中学校に通うのは在校生のみ。校門から出てくる生徒に声をかけても、答えるどころか、目も合わせない。

「知りません」

「わかりません」

示し合わせたようにこんな言葉だけが子供たちからは繰り返された。地元住民らによると、緑ケ丘中学校は、「ほんの2~3年前まではひどい学校だった」という。

「校内暴力もあったし、近所のコンビニにたばこを買いにきた生徒を見たっていう人もいる。1日に2回も学校にパトカーが来たこともあったし、荒れ放題。万引きする生徒なんて何人もいて、近くのショッピングモールで出禁になった子もいたほどでした」(中学校近くのクリニック従業員)

雄一くんが入学したときも、校舎のガラスを割る生徒や万引きする生徒がいるなど、まだ校内は荒れていた。それが、たった2~3年で、“落ち着いた”という。

「学校は相当頑張ったみたいだったけど、でもさ、そんなすぐに落ち着くってどういうこと? と思って、保護者の人に聞いたら、『先生が管理している感じで、生徒は不満を持っている子が多い、ってウチの子が言っている』って。あぁ、押さえつけて落ち着かせたんだなって心配していたんですよ」(同前)

緑ケ丘中学校の生徒がたまり場にしているという公園には、雄一くんの同級生がいた。4人とも地べたに座り、手にはスマホ。互いの目を合わせることはほとんどない。

声をかけると、「先生に話すなって言われてるから無理やわ」と冷たいひと言。こうも子供は管理されるものかと思っていると、そのうちの1人から、「大人は信用できん。邪魔なんで、あっちへ行ってくれない?」と、手で追い払われた。

ところが記者が、「なんで雄一くんは死んじゃったんだろうね…」と呟いたとき、彼らの表情も口調もガラリと変わった。

「大人は、“そんなことぐらいで死んで”って言うけど、それはそっちがいろいろ経験しているからじゃろ。大人にしたら高校受験なんてたいしたことないって思うかもしれないけど、おれたち15年の人生では大きな試練なんよ。大人は“どこの高校へ行くかによって今後の人生が決まる”って言うくせに、死んだら“それぐらいで死んで意味わからん”っておかしいわ」(3年生の時のクラスメートの男子)

教育評論家の尾木直樹さんは、こう憤る。

「今回の場合、まともなところが一か所もありません。そもそも進路指導とはどこの学校を受験させるか、ではなく、その先のキャリアを見据えて指導することです。あの学校で行われていたのは、進路指導ではなく進学指導にすぎません。でも、それすらもできていなかった。

報告書を見ても、○○できていない、××はなかった、という言葉ばかり。校長先生もリーダーシップを発揮できていないし、教頭も学年主任も進路指導主任も機能していません。“ないないづくし”の学校です。報告書も、少年が亡くなってしまった今、真実かどうかはわかりません。都合のいいように言っている可能性もあって怪しい。自殺後すぐに第三者委員会を立ち上げていなかったんですから」

学校側は、“他の指導に追われて進路指導に遅れが出ていた”“校内暴力の対応に追われていた”と説明している。前出の3年生の時のクラスメートは、まさに学校に対してやり場のない思いを持っていた。

「おれたちの学年=問題の学年、って思っている先生もいたと思うわ。じゃけぇ、生徒1人ひとりを見てくれんで、何を言っても聞いてくれない先生もおった」

問題となった万引き事件の翌日、1年生による暴力行為があり、生徒指導部はこちらの対応を優先して、万引きの対応や指導を怠ったとされている。その後、万引きをしたと入力された雄一くんは人違いだったと会議で気づくが、管理職不在のため修正を行う指示もなかった。そして、5回も進路指導した担任教師は、雄一くんと直接会話をしても、誤りを見抜けなかった。

坂元弘校長は涙ながらに、「誠に申し訳ない。学校側がきちっとしておけば、こういうことにはならなかったというふうに思っておりますので、本当に痛恨、それ以外ない。申し訳ない。そういう思いでございます」と語り、高杉良知教育長は記者会見で、「誤った記録に基づき、進路指導を行っていたことがあった」と謝罪した。

しかし、この会見の舞台裏で雄一くんの両親は学校側から悲痛な裏切りを受けていた。雄一くんの死は、“同級生の受験に影響を与えたくない”という両親の希望のもと、当初は病死と報告されていた。しかし、一転して、自殺が発表される。しかも、その日は、入試最終日の前日だった。

「教育委員会が、このままだと生徒の耳に入って噂になるかもしれない、早めに公表したほうがいいというようなことを言ったみたいです。それでも、ご両親はなんとか入試が終わるまでは、とお願いしていた。それなのに、あのような形になって、憤ってらっしゃいました。教育委員会も学校も、結局はマスコミに暴かれるのが嫌だっただけじゃないですか?」(保護者の1人)

学校の、大人の勝手な対応に怒りや苛立ちを抱えているのは子供も同じだ。むしろ、子供のほうが強い。

「のっぽ(雄一くんのニックネーム)が自殺って知ったのはネットのYahoo!ニュースで。どういうことだよ。大人は“あなたたちのために黙っていた”って言うけど、それは違う。まずはウソついてたことを謝るべきだろ。なのに、先生は学校に来ないし、卒業式すら来ない。おれらになんにも説明しないでマスコミが先って、いくら校長が泣きながら説明したって、もう信じられんわ」(小学校時代からの友人)

「先生たちは自分の言葉で説明する責任があると思うけど、その責任から逃げた。私は何があっても責任がとれる大人になりたい」(同学年の女子生徒)

※女性セブン2016年4月14日号

広島中3自殺:「我が子任せたこと悔やまれる」両親が手記 - 毎日新聞

毎日新聞2016年3月23日 19時59分(最終更新 3月24日 00時49分)

両親から寄せられた手記(一部画像を処理しています)

広島県府中町立府中緑ケ丘中3年の男子生徒が昨年12月、誤った万引き記録に基づく進路指導の後に自殺した問題で、生徒の両親が代理人弁護士を通じて毎日新聞に手記を寄せた。両親は学校が作成した自殺の報告書について、「まとめ方は不十分」とつづるなど学校や町教育委員会への不信感を抱き、「早急に(自殺の原因などを調査する)第三者委員会を作ってもらいたい」と訴えている。手紙の全文は次の通り。【石川将来】

【息子について】

まじめできちょうめんで完璧主義でした。小学校の時は本当に家事の手伝いをよくしてくれました。中学生になってからも時間がない中でも母親の様子をみては「これは俺がやるよ」と手伝ってくれる優しい子でした。

高校受験に向けて3年間勉強に部活動に励んできました。特に部活動はまじめに取り組み、1年生の頃から駅伝大会に参加させてもらいました。部活の友達とは本当に仲が良く、みんなで毎日練習に励んでいました。

3年生になってからは行事に意欲的に取り組み、特に文化祭で友達と災害復興ソングを全校生徒の前で歌っていた姿は、生き生きとして、本当に自信に満ちあふれていました。

音楽やファッションに興味があり、時間がある時には自分で洗濯して、きれいに干すほど服は大切にしていました。

3年生になってからは友達の影響でお菓子作りに興味を持ち、部活の引退の時や文化祭の時のお弁当にケーキを作って、持って行ったりしていました。手伝ってあげようか、教えてあげようか、と聞いたら「レシピを見たらたぶん作れるよ。困った時だけ教えて」と自信ありそうに答えたので、「意外とお菓子は難しいよ」と言うと、「俺、器用だし、たぶん大丈夫だよ」と見事に一人で完成させていました。息子には思った味と違ったらしく、好みの味に近づけるにはどう分量を変えればいいか、一生懸命考えて私に相談しながら作っていました。

【将来の夢】

軽音楽部に入って楽器を演奏したいと言っていました。オープンスクールで演奏を見て「かっこいいと思った。自分もやってみたい」と楽しそうに話していました。勉強ももちろん、「学生生活を楽しみたい」とよく言っていました。大学進学へ強い思いを持っていたので、高校も自分の行きたい大学への進学が可能かということも考えていました。

得意な数学に加え、英語ももっと学びたいと言っていました。IT関係の仕事に興味を持っていました。

【自殺の要因】

3年間頑張ってきた者が推薦を受けることができる、という言葉を信じて、辛(つら)い時も頑張ってきました。自分の人となりや努力を認めてもらえなかったことに加え、身に覚えがないことが一人歩きしていたことも一つではないかと思われます。

【学校の対応】

入試を控えた同級生を動揺させたくない思いから、死因は入試が終わるまでは伏せてほしいが、保護者には進路指導の事案について説明してほしいと願っていました。教育委員会から生徒の耳に入るリスクが高いと聞き、保護者への説明会も入試が終わった日に、と私たちで話し合いました。

その後、何度か保護者説明会の早急な開催を教育委員会に訴えても、理由をつけて私たちを不安にさせ、別の方法を提案してきたり渋ったり、保護者へ説明する気があるのか疑わしくなるほどでした。2カ月以上も振り回され、私たちの不安や不満は募り、疲労感が限界に達していました。それでも強い思いを持って約束してもらったのだから、必ず(高校入試が終わる)3月8日には実行し、同級生が試験会場へ到着するまでは生徒に知らせないでほしい。そんな願いは、7日の夜に教育委員会自ら記者会見を行う意向を公表したことにより、入試をあと1日残して情報が広まるという最悪の展開を迎えました。私たちの願いは簡単に砕かれ、今まで堪えてきたことが意味をなさない状況になってしまいました。苦しかったあの時間は何だったのかと思います。

報告書のまとめ方は不十分だと思います。

マスコミに開示されたものの中に息子の名前のマスキングミスが見つかることや、何も考えずに発言していることなど、私たちや生徒への配慮より、マスコミ対応が優先であることが本当にがっかりです。

【教師への不信感】

(息子は)担任というわけではなく、以前から不満はこぼしていました。言い分を聞いてもらえないことや、ひいきを感じることがあると言っていました。

進路指導については、このようなことが行われていたことは信じがたく、教育の場とは何かを問いたいです。何も知らないまま大切な我が子を学校に任せていたことが、本当に悔やまれます。まず早急に第三者委員会を作ってもらい、しかるべき判断を仰ぎたいと思います。(【】は質問の要約)

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2016年4月6日水曜日

インドネシア人の不法残留倍増…ビザ免除1年で

インドネシア人の不法残留倍増…ビザ免除1年で : 政治 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

政府が日本を訪れる外国人旅行者の入国要件を緩和したことを受け、インドネシア人の不法残留が急増している。

2016年1月時点で2228人と、対前年比で2倍弱に増えた。多くが就労目的で在留しているとみられるものの、インドネシアではイスラム過激派による犯行とみられるテロも発生しているため、政府は不審者の入国を防ごうと警戒を強めている。

日本政府は14年12月、人口約2億5000万人のインドネシアから観光客の誘致を目指し、15日以内の短期滞在者を対象に、事前登録すれば、ビザ(査証)を免除することとした。入国者数は14年の16万4246人から15年には21万412人に増えた。しかし、それ以上の割合で増加傾向にあるのが不法残留者の数だ。

インドネシア人の不法残留者は、ここ数年、1000人台が続き、15年1月時点で1258人だったが、ビザ免除の影響が表れた16年1月時点で2000人を超えた。インドネシアで難民が発生するような情勢変化はないにもかかわらず、15年の難民申請は14年の17人から969人に急増した。

2016年04月04日 15時51分

インドネシアへのODAは即全額カットすべし

めも。