2016年6月8日水曜日

今更ではあるけどオバマ@広島

森重昭氏の活動も、米英捕虜被爆者の存在も、佐々木禎子氏の折り鶴も、知らなかっただなんてそんなことあるわけないじゃないですかHAHAHA...

…真珠湾、日本の総理が行って何かまずいんですかね?

Mr. Crowley@Hiroshima

米大統領広島訪問

元米兵捕虜も立ち会いへ 米政府が要請

毎日新聞2016年5月22日 21時13分(最終更新 5月22日 23時09分)

【ハノイ西田進一郎】オバマ米大統領が27日に被爆地・広島を訪問する際、第二次世界大戦中の元米兵捕虜も立ち会うことが22日、分かった。1942年にフィリピン・バターン半島で米兵捕虜ら多数が死亡した「バターン死の行進」の生存者らで作る「全米バターン・コレヒドール防衛兵記念協会」のジャン・トンプソン代表が明らかにした。

トンプソン氏によると、大統領の広島訪問の式典に元捕虜の一人を代表として参加させてほしいとホワイトハウスから要請があった。広島訪問が、原爆投下の被害だけでなく、第二次大戦の全ての被害に目を向けたものであることを示す狙いがあるとみられる。

代表で参加するのは、米東部コネティカット州のダニエル・クローリーさん(94)。フィリピンで旧日本軍の捕虜となり、パラワン島で飛行場建設の作業を素手で行うように強いられた。その後、日本に移送され、栃木県足尾の銅山などで強制労働をさせられた。

クローリーさんは4月下旬に毎日新聞の取材に当時の生活の過酷さを説明したうえで「兵器は人を殺害するので、全ての兵器は嫌なものだ。しかし、戦争を引き起こしたのは米国ではなく、ドイツと日本だ」と述べ、戦争終結のために原爆投下はやむを得なかったとの認識を示した。一方、「オバマ氏の広島訪問は気にしていない。私が懸念しても世界のどこにだって行ける」と語り、訪問自体には反対しない姿勢を示した。

http://mainichi.jp/articles/20160523/k00/00m/030/031000c

東郷茂徳こと朴茂德

ルーズベルト電、天皇に渡れば開戦回避…GHQ

1941年12月8日の日米開戦の直前、当時のルーズベルト米大統領から昭和天皇に送られた戦争回避を訴える親電(電報)の伝達が遅れた問題で、終戦直後に連合国軍総司令部(GHQ)が外務省に対し、「電報が天皇陛下に渡されたならば戦争は避けることができたに違いない」との見解を示していたことが、7日公開の外交文書から明らかになった。

文書によると、GHQの見解は、国際検察局の担当官が46年8月1日、伝達遅れの経緯を調べるため外務省職員2人を尋問した際に示された。

問題の親電は41年12月7日正午、東京の中央電信局に入電。しかし、米大使館のグルー大使に配達されたのは同日午後10時半だった。大使から東郷茂徳外相を経由し、昭和天皇に伝達された直後に、真珠湾奇襲が始まった。

(2013年3月7日14時52分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130307-OYT1T00772.htm

「被爆米兵の名前を刻んだ歴史家」オバマ大統領とハグした方はとてつもない御仁でした - Togetterまとめ

オバマさんがハグをした方は、原爆で亡くなった12名の米軍捕虜の原爆犠牲者登録に尽力し、Googleもない時代にアメリカの遺族に情報を伝え、彼らを追悼し続ける素晴らしい方だった。「広島被爆米兵の名前を刻んだ日本の歴史家」 森重昭さん nippon.com/ja/people/e000…

広島被爆米兵の名前を刻んだ日本の歴史家 | nippon.com

コメント

オバマ大統領の原爆慰霊碑訪問に立ち会った被爆者代表は四名。日本原水爆被害者団体協議会の坪井直-すなお-代表委員(91)、同じく岩佐幹三代表委員(87)、同じく田中煕巳-てるみ-事務局長(84)、そして歴史家で米英捕虜被爆者遺骨返還運動を続ける森重昭さん(79)。このうちオバマ大統領と言葉を交わしたのは坪井さんと森さん。なお田中事務局長は長崎での被爆者。

なお、当初招待されていたのは日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の坪井直代表委員、田中熙巳事務局長、谷口稜曄-すみてる-代表委員(87)、岩佐幹三代表委員の4人だったらしい。谷口代表委員(長崎被爆者)が外れて森さんが入った形だが、これはおそらく体調不良による出席辞退。何しろ皆さんご高齢だし。何にせよ森さんがオバマ大統領と面会出来たのは奇跡的な偶然。

ちなみに、1983年まで米国政府は公式に米国人被爆者は居ないというスタンスを取ってきたせいで、未だにアメリカでは捕虜が被害に遭ったことを知らない人が大多数。だからこそ、原爆についての議論で齟齬が産まれる。長崎で教会も巻き込まれた事についても、欧米人は知らないと思うよ。

被曝アメリカ人には他に、日本に「里帰り」中に被曝した日系アメリカ人達も。 袖井林二郎『私たちは敵だったのか―在米ヒバクシャの黙示録』 (角川文庫) http://www.amazon.co.jp/dp/4043264011

まとめを読んで思い出した事を書くけど。1990年にアメリカで『ヒロシマ』というTVムービー、日本でいえばスペシャルドラマがあってそこでエピソードのひとつとしてアメリカ人捕虜の被爆が描かれていたのがあったのがちょっとした話題になった。当時のアメリカ人はそうゆう人が存在したことをこのドラマではじめて知った人も多かったらしい。(かなりうろ覚えなので話半分で聞いておいてほしい)オバマ大統領もそれを観ていた可能性がある。

オバマ大統領の広島訪問で厳重な警備をくぐりぬけた猫が話題「SPか?」「人類は何をやっているのか」 - Togetterまとめ

広島のお母さん「オバマ撮ったよ!」→なんやこれ… - Togetterまとめ

マリーンワンとオスプレイ。

テレ東、妖怪ウォッチを休んで「報道特別番組 オバマ大統領広島へ」放送「テレ東をも動かすオバマさんすごい(錯乱)」 - Togetterまとめ

後々、「あのテレ東があの妖怪ウォッチを中止にした」と言えばオバマ広島訪問がどれだけ歴史的ニュースになったか後世にもその衝撃が伝わるかと思う。

検索ワード:「テレ東伝説」

東京新聞:オバマ氏広島訪問 折り鶴 結ぶ祈り:社会(TOKYO Web)

2016年5月28日 夕刊

オバマ米大統領の歴史的訪問から一夜明けた28日午前、広島市の平和記念公園には、折り鶴を供える子どもや市民の姿があった。オバマ氏が広島訪問に持参したのも、手づくりの折り鶴。被爆して12歳で亡くなった佐々木禎子(さだこ)さんが闘病中、「生きたい」との思いを込めて作り続けたことから、折り鶴は「核なき世界」を求める象徴として、今も親族が世界を回って寄贈を続けている。

「昔の敵国の一番偉い人が、平和のことを考えてくれた。うれしいと思った」。奈良県生駒市から公園を訪れた小学六年山口莉奈さん(11)が笑顔で話した。「平和の思いを引き継がないといけない」

オバマ氏は二十七日に広島平和記念資料館(原爆資料館)を訪れた際、二羽を出迎えの小中学生らに渡し、二羽を資料館に贈った。八歳で被爆した斉藤志津江さん(79)=広島市=は「どこで折られたのでしょう。優しい気持ちが伝わってきた」と話した。

原爆資料館には、禎子さんが闘病中に折った約六十羽の折り鶴が展示されている。資料館によると、当時は物資がまだ乏しく、禎子さんは、病院で出された薬の包み紙や見舞い品の包装紙などを使っていた。

禎子さんは二歳で被爆。小学六年で白血病と診断され、生きたいという願いを込め、病室で鶴を折り続けた。八カ月の闘病の後、一九五五年十月二十五日に亡くなった。禎子さんをモデルに、公園に「原爆の子の像」が作られた。

「折り鶴は日本の平和の象徴やけんね」。公園を訪れた藤井君子さん(83)=広島市=が語る。実兄は原爆の死者の処理時に被爆、二十八歳で亡くなった。「昔はね、兄と折り鶴を折って遊んだこともあった。それを全部吹き飛ばしたのも原爆です」。オバマ氏訪問で「あの日を思い出して胸がドキドキして…。涙が出てきて、眠れなかった」と言葉が続かなかった。 (木原育子)

◆米では禎子さん遺作を兄寄贈

【ロサンゼルス=共同】広島を訪問したオバマ米大統領が、被爆し十二歳で亡くなった佐々木禎子さんの折り鶴を原爆資料館で熱心に見学したことについて、米ロサンゼルスを訪問中の兄雅弘さん(74)は二十七日「禎子も喜んだだろう。うれしかった」と話した。

雅弘さんは次男祐滋さん(45)と共に、禎子さんの折り鶴を各地で寄贈し平和の大切さを伝える活動をしている。「オバマ大統領が根強い反対を抑えて広島を訪問したことで『心の終戦』の第一歩が始まった」と述べた。

滋さんも、オバマ氏が「自ら鶴を折って(出迎えた小中学生に)贈ったと知り、折り鶴で(日米は)ようやく結ばれたと感じた」と話した。

雅弘さんは二十六日、禎子さんが闘病中に折った折り鶴をロサンゼルスの「寛容の博物館」に寄贈。寄贈式には広島、長崎に原爆投下を命じた当時のトルーマン大統領の孫、クリフトン・トルーマン・ダニエルさん(58)も出席した。二〇一二年に広島と長崎を訪問したダニエルさんは、訪問をきっかけに被爆者とかけがえのない交流が始まったとし「私たちがもはや敵同士でないことに大きな喜びを感じた」と述べた。

◆「事前に勉強されていた」 オバマ氏視察の資料館館長

オバマ氏が平和記念資料館を視察した際、後ろで見守っていた志賀賢治館長(63)によると、「関心が深く、事前に勉強されている。大変に熱心だった」という。

オバマ氏は資料館全体を回らず、資料館側が用意した原爆を伝える資料を見学した。オバマ氏は佐々木禎子さんへの関心が高いと聞いていたため、志賀館長は佐々木さんが作った折り鶴などの資料を準備したという。

志賀館長は「大統領が国に帰り、見たことを語ると思う。語ったことを聞いた人に(資料館へ)来てもらうことを願う」と述べた。

コラム:広島「原爆神話」、米国はどう海外攻撃を正当化したか | ロイター

Column | 2016年 05月 27日 17:31 JST

5月25日、オバマ米大統領の広島訪問は、この地が持つ真の歴史的な意味への認識を避けるものとなるかもしれない。写真は原爆ドーム。1998年8月6日撮影(2016年 ロイター/Kimimasa Mayama)

Peter Van Buren

[25日 ロイター] - オバマ米大統領が、現役の米大統領として初めて、世界初の原爆被爆地となった広島の平和記念碑を訪問する。写真映えのする訪問となりそうだが、この訪問は、この地が持つ真の歴史的な意味への認識を避けるものとなるかもしれない。

ケリー国務長官が4月に平和記念碑を訪問し、それ以前にも2人の米国駐日大使が訪れているが、彼ら同様、オバマ大統領も原爆投下をめぐる主要な問題には触れない方針だ。ベンジャミン・ローズ大統領副補佐官(国家安全保障担当)は以前、大統領は「原爆投下の決定について立ち返ることはない」と述べている。

まれな例外を除き、原爆投下が第2次世界大戦を終結されるために必要だったかどうかについての深い議論は、米学界の安全圏内でのみ行われている。

つまり、原爆投下がなくとも地上侵攻は避けられたのか。さらなる外交努力によって、2つの都市を破壊することなく、同じ目的を達成することができたのか。無人島での原爆実験で日本人を説得することはできなかったか。広島原爆投下の2日後、そして、長崎での投下1日前に、歴史上の偶然によって、旧ソ連が太平洋戦争に参戦したが、日本の降伏は主にこのことで引き起こされたものではなかったか。

しかし、議論が避けられてきたのは、その決定にまつわる歴史そのものだけではない。破壊行為の向こう側に横たわるのは、原爆の神話である。つまり、実際に起きなかったことを大衆が記憶するという戦後の創造物だ。

世間一般の意識に浸透している原爆神話は、簡単に言えば、原爆投下は復讐や悪意によるものではなく、軍事的な必要性からしぶしぶ決定されたというものだ。その結果、原爆投下は、道徳性についての深い自己反省や国家的な考察を呼び起こすことはなかった。

「神話」という言葉の使用は適切である。当時のトルーマン大統領は1945年の広島への原爆投下を伝える演説で、復讐と、米国だけが持つ新しくて並外れた力を強調。軍事的に必要だったという議論はその後、原爆投下を擁護する1947年の論文によって生まれた。

この論文は、ヘンリー・スティムソン元陸軍長官の名前によって執筆されたが、実際は、ベトナム戦争の政策立案者のマクジョージ・バンディと原爆建造に関わった科学者のジェームズ・コナントが草稿を用意した。コナントは、冷戦開始時に発表された論文の目的について、「未来に向かって多くを準備する前に、過去を整理する必要がある」と述べている。

スティムソンの論文は、ジャーナリストのジョン・ハーシーが執筆した広島で被爆した人々の惨状を描いた記事に対する回答だった。この記事は1946年にニューヨーカー誌に初掲載され、後に出版された。

戦時中の検閲のため、米国人は原爆戦争がもたらした地上の真実をほとんど知らずにいた。この記事が人々に与えた衝撃は、米政府が公式な回答をせざるを得なくなるほど大きいものだった。自らを良識ある人々とみなすアメリカ人の一般感覚は、米国の名の下で行われた過去と折り合いをつける必要があった。スティムソンの論文は文字通り、広島の神話誕生の瞬間だった。

原爆投下には道徳上の問題はなく、それゆえに考察も自己反省もいらないとの国家的な信仰は、今日まで繰り返されているものである。「そして、長崎も」と、長崎への原爆投下を歴史的な補足として軽率に扱う方法もそのことを痛感させる。

新たな「パールハーバー」とも称される、9・11の米同時多発攻撃によって、たとえ破壊的で不完全であっても、殺害によって人々の命を守るという道徳的要請に応じた一連の不道徳的な行為が始まった。

米国が下した戦争や拷問、容疑者の他国への引き渡し、さらには無期限拘留などの決定は、性善な者が性悪な者と向き合う上で、不快だが必要な行動だと、多くの人々に受け止められている。広島は「自分たちがやるなら、正しい」という圧倒的な国家的概念を始動させた。

こうしたことを踏まえれば、広島での破壊や、イラクのアブグレイブ刑務所内で起きた「衝撃と畏怖」の恐怖から距離を置くことは、単に程度の差である。こうした神話は、たとえわずかな数でも民間人が痛ましく斬首されたことを受けて、世界で最も強力な国が被害国として、戦争に突入することを可能にした。

一方で、ドローンが結婚式に参加していた子供たちを殺害しても、それは不運ではあるが、国際的なテロリズムを打ち負かすという目的達成のための単なる巻き添え被害だとみなされている。それは、単に誰がナイフを持っていたかによって暴力行為を分析し、一部に対し道徳的な正当性を認める気味の悪い計算である。

実際、私たちはアフガニスタン人の一部を殺害することによって、アフガニスタンの国民に善い行いを施していると考えているかもしれない。それは第2次世界大戦を終わらせるため、日本本土への地上侵攻が実施されていたならば、命を無くしたであろう何万人のために善い行いをしたと信じていることと同じである。

「テロとの戦い」をめぐる議論はほとんど起きない。なぜなら議論そのものが多分に不必要だからだ。広島の神話は、ご都合主義の幻想が道徳的懸念を拭い去ってしまうことを物語っている。それは私たちの良心の中に巧妙にしまい込まれ、次はどこを攻撃するか考えることを残すのみだ。

日本もまた、戦時中の自身の戦争行為を深く検証できないという罪を犯している。それでも、第2次世界大戦中とそれ以降の驚くべき残虐行為の数々と比較しても、世界で唯一となる核兵器使用は、不名誉なものとしてなおも重大な位置を占めている。

犠牲となった多数の罪のない民間人を日本政府に見せて降伏に追い込むこと(1945年当時はこの計画がうまく行くかは誰にも分からなかったが)。そして、さらに多くの爆弾を投下すると脅し、無防備な都市に対する将来的な連続攻撃に対して、日本という国を人質に取ること。これらはかつて見たことがないほどの残酷さを物語っている。

オバマ大統領が、こうした不幸な人命の損失の理由について、それらがあたかも自然災害だったかのように、考察することなく広島を訪れることは、過去71年間、どの米国大統領もこの被害都市を訪問することの重要性を特に感じていなかった点と、悲劇的に合致している。20世紀の最も重大な出来事の1つに対する米国の自己反省の欠如は、21世紀への影響も伴って、今も続いている。

*筆者は、米国務省に24年間勤務。著書にイラク再建の失策を取り上げた「We Meant Well: How I Helped Lose the Battle for the Hearts and Minds of the Iraqi People(原題)」などがある。最新刊は「Ghosts of Tom Joad: A Story of the #99 Percent(原題)」。

*本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

秀才領域 by悲しき秀才: 小浜

秀才領域 by悲しき秀才: 小浜2

秀才領域 by悲しき秀才: 小浜3

秀才氏、ここまで考えを巡らせることができますか…凄すぎる。これが政治の世界か…(?)

以下、オバマ大統領の演説全文。

【オバマ米大統領の広島演説(英文・全文)】「Seventy-one years ago,on a bright…」(1/8ページ) - 産経ニュース

2016.5.28 09:08更新

Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.

Why do we come to this place, to Hiroshima? We come to ponder a terrible force unleashed in the not so distant past. We come to mourn the dead, including over 100,000 Japanese men, women and children, thousands of Koreans and a dozen Americans held prisoner.

Their souls speak to us. They ask us to look inward, to take stock of who we are and what we might become.

It is not the fact of war that sets Hiroshima apart. Artifacts tell us that violent conflict appeared with the very first man. Our early ancestors, having learned to make blades from flint and spears from wood, used these tools not just for hunting but against their own kind.

On every continent the history of civilization is filled with war, whether driven by scarcity of grain or hunger for gold, compelled by nationalist fervor or religious zeal. Empires have risen and fallen, peoples have been subjugated and liberated, and at each juncture innocents have suffered -- a countless toll, their names forgotten by time.

The World War that reached its brutal end in Hiroshima and Nagasaki was fought among the wealthiest and most powerful of nations. Their civilizations had given the world great cities and magnificent art. Their thinkers had advanced ideas of justice and harmony and truth, and yet the war grew out of the same base instinct for domination or conquest that had caused conflicts among the simplest tribes, an old pattern amplified by new capabilities and without new constraints.

In the span of a few years some 60 million people would die: men, women, children -- no different than us, shot, beaten, marched, bombed, jailed, starved, gassed to death.

There are many sites around the world that chronicle this war -- memorials that tell stories of courage and heroism, graves and empty camps that echo of unspeakable depravity.

Yet in the image of a mushroom cloud that rose into these skies, we are most starkly reminded of humanity's core contradiction -- how the very spark that marks us as a species, our thoughts, our imagination, our language, our tool making, our ability to set ourselves apart from nature and bend it to our will -- those very things also give us the capacity for unmatched destruction.

How often does material advancement or social innovation blind us to this truth? How easily do we learn to justify violence in the name of some higher cause?

Every great religion promises a pathway to love and peace and righteousness. And yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith has a license to kill.

Nations arise telling a story that binds people together in sacrifice and cooperation, allowing for remarkable feats, but those same stories have so often been used to oppress and dehumanize those who are different. Science allows us to communicate across the seas, fly above the clouds, to cure disease and understand the cosmos. But those same discoveries can be turned into ever more efficient killing machines.

The wars of the modern age teach us this truth. Hiroshima teaches this truth. Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us. The scientific revolution that led to the splitting of an atom requires a moral revolution as well.

That is why we come to this place. We stand here in the middle of this city and force ourselves to imagine the moment the bomb fell. We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see.

We listen to a silent cry. We remember all the innocents killed across the arc of that terrible war, and the wars that came before, and the wars that would follow.

Mere words cannot give voice to such suffering. But we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again.

Some day the voices of the Hibakusha will no longer be with us to bear witness. But the memory of the morning of August 6, 1945 must never fade. That memory allows us to fight complacency. It fuels our moral imagination, it allows us to change.

And since that fateful day we have made choices that give us hope. The United States and Japan forged not only an alliance, but a friendship that has won far more for our people that we can ever claim through war.

The nations of Europe built a union that replaced battlefields with bonds of commerce and democracy. Oppressed peoples and nations won liberation. An international community established institutions and treaties that worked to avoid war and aspired to restrict and roll back and ultimately eliminate the existence of nuclear weapons.

Still, every act of aggression between nations, every act of terror and corruption and cruelty and oppression that we see around the world shows our work is never done. We may not be able to eliminate man's capacity to do evil, so nations and the alliances that we formed must possess the means to defend ourselves.

Among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them. We may not realize this goal in my lifetime, but persistent effort can roll back the possibility of catastrophe.

We can chart a course that leads to the destruction of these stockpiles, we can stop the spread to new nations, and secure deadly materials from fanatics. And yet that is not enough, for we see around the world today how even the crudest rifles and barrel bombs can serve up violence on a terrible scale.

We must change our mindset about war itself -- to prevent conflicts through diplomacy and strive to end conflicts after they've begun; to see our growing interdependence as a cause for peaceful cooperation and not violent competition; to define our nations not by our capacity to destroy but by what we build. And perhaps above all we must reimagine our connection to one another as members of one human race -- for this too is what makes our species unique.

We're not bound by genetic code to repeat the mistakes of the past. We can learn. We can choose. We can tell our children a different story, one that describes a common humanity, one that makes war less likely and cruelty less easily accepted.

We see these stories in the Hibakusha: the women who forgave a pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb because she recognized what she really hated was war itself; the man who sought out families of Americans killed here because he believed their loss was equal to his own.

My own nation's story began with simple words: "All men are created equal, and endowed by our Creator with certain unalienable rights, including life, liberty and the pursuit of happiness."

Realizing that ideal has never been easy, even within our own borders, even among our own citizens. But staying true to that story is worth the effort. It is an ideal to be strived for, an ideal that extends across continents and across oceans.

The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious, the radical and necessary notion that we are part of a single human family: that is the story that we all must tell.

That is why we come to Hiroshima, so that we might think of people we love, the first smile from our children in the morning, the gentle touch from a spouse over the kitchen table, the comforting embrace of a parent.

We can think of those things and know that those same precious moments took place here 71 years ago. Those who died, they are like us.

Ordinary people understand this, I think. They do not want more war. They would rather that the wonders of science be focused on improving life and not eliminating it.

When the choices made by nations, when the choices made by leaders reflect this simple wisdom, then the lesson of Hiroshima is done.

The world was forever changed here, but today the children of this city will go through their day in peace. What a precious thing that is. It is worth protecting and then extending to every child.

That is a future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.

Obama stresses nuclear-free world in speech in Hiroshima:The Asahi Shimbun

May 27, 2016 at 20:00 JST

U.S. President Barack Obama delivers a speech on May 27 at Hiroshima Peace Memorial Park with the A-Bomb Dome in the background. (Pool)

HIROSHIMA--U.S. President Barack Obama emphasized the need to pursue a world free of nuclear weapons during his visit to the atomic-bombed city of Hiroshima on May 27, the first by a sitting U.S. president.

Obama visited the Hiroshima Peace Memorial Museum and laid a wreath before the Cenotaph for the A-bomb Victims in the Hiroshima Peace Memorial Park.

He then gave a speech that underlined the disastrous nature of a war.

“We force ourselves to imagine the moment the bomb fell. ... The memory of the morning of Aug. 6, 1945, must never fade.”

The following is the full text of Obama’s speech:

* * *

Seventy-one years ago, on a bright, cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.

Why do we come to this place, to Hiroshima? We come to ponder a terrible force unleashed in a not so distant past. We come to mourn the dead, including over 100,000 in Japanese men, women and children; thousands of Koreans; a dozen Americans held prisoner. Their souls speak to us. They ask us to look inward, to take stock of who we are and what we might become.

It is not the fact of war that sets Hiroshima apart. Artifacts tell us that violent conflict appeared with the very first man. Our early ancestors, having learned to make blades from flint and spears from wood, used these tools not just for hunting, but against their own kind. On every continent, the history of civilization is filled with war, whether driven by scarcity of grain or hunger for gold; compelled by nationalist fervor or religious zeal. Empires have risen and fallen. Peoples have been subjugated and liberated. And at each juncture, innocents have suffered, a countless toll, their names forgotten by time.

The World War that reached its brutal end in Hiroshima and Nagasaki was fought among the wealthiest and most powerful of nations. Their civilizations had given the world great cities and magnificent art. Their thinkers had advanced ideas of justice and harmony and truth. And yet, the war grew out of the same base instinct for domination or conquest that had caused conflicts among the simplest tribes; an old pattern amplified by new capabilities and without new constraints. In the span of a few years, some 60 million people would die--men, women, children no different than us, shot, beaten, marched, bombed, jailed, starved, gassed to death.

There are many sites around the world that chronicle this war--memorials that tell stories of courage and heroism; graves and empty camps that echo of unspeakable depravity. Yet in the image of a mushroom cloud that rose into these skies, we are most starkly reminded of humanity’s core contradiction; how the very spark that marks us as a species--our thoughts, our imagination, our language, our tool-making, our ability to set ourselves apart from nature and bend it to our will--those very things also give us the capacity for unmatched destruction.

How often does material advancement or social innovation blind us to this truth. How easily we learn to justify violence in the name of some higher cause. Every great religion promises a pathway to love and peace and righteousness, and yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith as a license to kill. Nations arise, telling a story that binds people together in sacrifice and cooperation, allowing for remarkable feats, but those same stories have so often been used to oppress and dehumanize those who are different.

Science allows us to communicate across the seas and fly above the clouds; to cure disease and understand the cosmos. But those same discoveries can be turned into ever-more efficient killing machines.

The wars of the modern age teach this truth. Hiroshima teaches this truth. Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us. The scientific revolution that led to the splitting of an atom requires a moral revolution, as well.

That is why we come to this place. We stand here, in the middle of this city, and force ourselves to imagine the moment the bomb fell. We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see. We listen to a silent cry. We remember all the innocents killed across the arc of that terrible war, and the wars that came before, and the wars that would follow.

Mere words cannot give voice to such suffering, but we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again. Someday the voices of the hibakusha will no longer be with us to bear witness. But the memory of the morning of August 6th, 1945 must never fade. That memory allows us to fight complacency. It fuels our moral imagination. It allows us to change.

And since that fateful day, we have made choices that give us hope. The United States and Japan forged not only an alliance, but a friendship that has won far more for our people than we could ever claim through war. The nations of Europe built a Union that replaced battlefields with bonds of commerce and democracy. Oppressed peoples and nations won liberation. An international community established institutions and treaties that worked to avoid war and aspire to restrict and roll back, and ultimately eliminate the existence of nuclear weapons.

Still, every act of aggression between nations; every act of terror and corruption and cruelty and oppression that we see around the world shows our work is never done. We may not be able to eliminate man’s capacity to do evil, so nations-and the alliances that we’ve formed-must possess the means to defend ourselves. But among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear, and pursue a world without them.

We may not realize this goal in my lifetime. But persistent effort can roll back the possibility of catastrophe. We can chart a course that leads to the destruction of these stockpiles. We can stop the spread to new nations, and secure deadly materials from fanatics.

And yet that is not enough. For we see around the world today how even the crudest rifles and barrel bombs can serve up violence on a terrible scale. We must change our mindset about war itself-to prevent conflict through diplomacy, and strive to end conflicts after they’ve begun; to see our growing interdependence as a cause for peaceful cooperation and not violent competition; to define our nations not by our capacity to destroy, but by what we build.

And perhaps above all, we must reimagine our connection to one another as members of one human race. For this, too, is what makes our species unique. We’re not bound by genetic code to repeat the mistakes of the past. We can learn. We can choose. We can tell our children a different story-one that describes a common humanity; one that makes war less likely and cruelty less easily accepted.

We see these stories in the hibakusha-the woman who forgave a pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb, because she recognized that what she really hated was war itself; the man who sought out families of Americans killed here, because he believed their loss was equal to his own.

My own nation’s story began with simple words: All men are created equal, and endowed by our Creator with certain unalienable rights, including life, liberty and the pursuit of happiness. Realizing that ideal has never been easy, even within our own borders, even among our own citizens.

But staying true to that story is worth the effort. It is an ideal to be strived for; an ideal that extends across continents, and across oceans. The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious; the radical and necessary notion that we are part of a single human family-that is the story that we all must tell.

That is why we come to Hiroshima. So that we might think of people we love--the first smile from our children in the morning; the gentle touch from a spouse over the kitchen table; the comforting embrace of a parent-we can think of those things and know that those same precious moments took place here seventy-one years ago. Those who died-they are like us. Ordinary people understand this, I think. They do not want more war. They would rather that the wonders of science be focused on improving life, and not eliminating it.

When the choices made by nations, when the choices made by leaders reflect this simple wisdom, then the lesson of Hiroshima is done.

The world was forever changed here. But today, the children of this city will go through their day in peace. What a precious thing that is. It is worth protecting, and then extending to every child. That is the future we can choose-a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.

【オバマ大統領広島演説(全文)】「71年前、空から死が舞い降り世界は変わった」「あの日の朝の記憶は決して風化させてはならない」(1/7ページ) - 産経ニュース

71年前の雲一つない明るい朝、空から死が舞い降り、世界は変わった。閃光(せんこう)と火柱が都市を破壊し、人類は自ら破壊する手段を手にすることを示した。

われわれはなぜ広島に来たのか。そう遠くない過去に解き放たれた残虐な力に思いをめぐらせるためだ。われわれは命を落とした10万人を超える日本の男女、子供、何千人もの朝鮮半島出身者、十数人の米国人捕虜を悼む。

その魂が私たちに話しかけてくる。彼らはわれわれに対し、もっと内なる心に目をむけ、自分の今の姿とこれからなるであろう姿を見るように訴える。

広島を際立たせているのは、戦争という事実ではない。過去の遺物は、暴力による争いが最初の人類とともに出現していたことをわれわれに教えてくれる。初期の人類は、火打ち石から刃物を作り、木からやりを作る方法を学び、これらの道具を、狩りだけでなく同じ人類に対しても使った。

いずれの大陸も文明の歴史は戦争で満ちており、食糧不足や黄金への渇望に駆り立てられ、民族主義者の熱意や宗教上の熱情にせき立てられた。帝国は台頭し、そして衰退した。民族は支配下に置かれ、解放されたりしてきた。転換点において罪のない人々が苦しみ、数え切れない多くの人が犠牲となり、彼らの名前は時がたつと忘れ去られてきた。

広島と長崎で残酷な終焉(しゅうえん)を迎えた世界大戦は、最も豊かで強い国家間で勃発した。彼らの文明は偉大な都市と素晴らしい芸術を育んでいた。思想家は正義と調和、真実という理念を発達させていた。しかし、戦争は、初期の部族間で争いを引き起こしてきたのと同様に支配あるいは征服の基本的本能により生じてきた。抑制を伴わない新たな能力が、昔からのパターンを増幅させた。

ほんの数年の間で約6千万人が死んだ。男性、女性、子供たちはわれわれと変わるところがない人たちだった。撃たれたり、殴られたり、連行されたり、爆弾を落とされたり、投獄されたり、飢えさせられたり、毒ガスを使われたりして死んだ。

世界各地には、勇気や勇敢な行動を伝える記念碑や、言葉にできないような悪行を映す墓や空っぽの収容所など、この戦争を記録する場所が多くある。

しかし、この空に上がった、きのこ雲のイメージが、われわれに人類の根本的な矛盾を想起させた。われわれを人類たらしめる能力、思想、想像、言語、道具づくりや、自然とは違う能力、自然をわれわれの意志に従わせる能力、これらのものが無類の破壊能力をわれわれにもたらした。

物質的進歩や社会革新がこの真実から、われわれの目を曇らせることがどれほど多いであろうか。高邁(こうまい)な理由で暴力を正当化することはどれほど安易なことか。

偉大な全ての宗教は愛や平和、公正な道を約束している。一方で、どの宗教もその信仰が殺人を許容していると主張するような信者の存在から逃れることはない。

国家は、犠牲と協力を結び付ける物語をつむぎながら発展してきた。さまざまな偉業を生んだが、この物語が抑圧や相違を持つ人々の人間性を奪うことにも使われてきた。科学はわれわれに海を越えてコミュニケーションを取ることを可能にし、空を飛び、病気を治し、宇宙を理解することを可能にした。しかし同じ発見は、より効果的な殺人機械へとなり得る。

現代の戦争はこうした真実をわれわれに伝える。広島はこの真実を伝える。人間社会の発展なき技術の進展はわれわれを破滅させる。原子核の分裂につながった科学的な革命は、倫理上の革命も求められることにつながる。

だからこそわれわれはこの地に来た。この街の中心に立ち、爆弾が投下されたときの瞬間について考えることを自らに強いる。惨禍を目にした子供たちの恐怖を感じることを自らに課す。

無言の泣き声に耳を澄ませる。われわれはあの恐ろしい戦争やその前の戦争、その後に起きた戦争で殺された全ての罪なき人々に思いをはせる。

単なる言葉でその苦しみを表すことはできない。しかし、われわれは歴史を直視し、そのような苦しみを繰り返さないために何をしなければならないかを問う共通の責任がある。

いつの日か、生き証人たちの声は聞こえなくなるだろう。しかし1945年8月6日の朝の記憶は決して風化させてはならない。記憶はわれわれの想像力を養い、われわれを変えさせてくれる。

あの運命の日以来、われわれは希望をもたらす選択もしてきた。米国と日本は同盟関係を築くだけでなく、戦争を通じて得られるものよりももっと多くのものを国民にもたらす友情を築いた。

欧州の国々は戦場に代わって、交易や民主主義により結ばれている。抑圧された人々や国々は自由を勝ち取った。国際社会は戦争を回避し、核兵器の存在を規制、削減し、完全に廃絶するための機関を創設し協定を結んだ。

それにも関わらず、世界中で見られる国家間のテロや腐敗、残虐行為や抑圧は、われわれがすべきことには終わりがないことを示している。われわれは人類が悪事を働く能力を除去することはできないかもしれないし、われわれが同盟を組んでいる国々は自らを守る手段を持たなければならない。

しかし、わが国を含む、それらの国々は核兵器を貯蔵しており、われわれは恐怖の論理から抜け出し、核兵器のない世界を希求する勇気を持たなければならない。こうした目標は私の生きている間は実現しないかもしれないが、粘り強い取り組みが惨禍の可能性を引き下げる。

われわれはこうした保有核兵器の廃棄に導く道筋を描くことができる。われわれは、新たな国々に拡散したり、致死性の高い物質が狂信者の手に渡ったりするのを防ぐことができる。しかし、まだそれでは不十分だ。なぜなら、われわれは今日、世界中で原始的なライフル銃やたる爆弾でさえ恐るべきスケールの暴力をもたらすことができることを、目の当たりにしているからだ。

われわれは戦争そのものに対する考え方を変えなければならない。外交を通じて紛争を予防し、始まってしまった紛争を終わらせる努力するために。増大していくわれわれの相互依存関係を、暴力的な競争でなく、平和的な協力の理由として理解するために。破壊する能力によってではなく、築くものによってわれわれの国家を定義するために。そして何よりも、われわれは一つの人類として、お互いの関係を再び認識しなければならない。このことこそが、われわれ人類を独自なものにするのだ。

われわれは過去の過ちを繰り返す遺伝子によって縛られてはいない。われわれは学ぶことができる。われわれは選択することができる。われわれは子供たちに違う話をすることができ、それは共通の人間性を描き出すことであり、戦争を今より少なくなるようにすること、残酷さをたやすく受け入れることを今よりも少なくすることである。

われわれはこれらの話をヒバクシャ(被爆者)の中に見ることができる。ある女性は、原爆を投下した飛行機の操縦士を許した。本当に憎むべきは戦争そのものであることに気付いたからだ。ある男性は、ここで死亡した米国人の家族を探し出した。その家族の失ったものは、自分自身が失ったものと同じであることに気付いたからだ。

わが国は単純な言葉で始まった。「人類は全て、創造主によって平等につくられ、生きること、自由、そして幸福を希求することを含む、奪うことのできない権利を与えられている」

理想は、自分たちの国内においてさえ、自国の市民の間においてさえ、決して容易ではない。しかし誠実であることには、努力に値する。追求すべき理想であり、大陸と海をまたぐ理想だ。

全ての人にとってかけがえのない価値、全ての命が大切であるという主張、われわれは人類という一つの家族の仲間であるという根本的で必要な概念。われわれはこれら全ての話を伝えなければならない。

だからこそ、われわれは広島に来たのだ。われわれが愛する人々のことを考えられるように。朝起きた子供たちの笑顔をまず考えられるように。食卓越しに、夫婦が優しく触れ合うことを考えられるように。両親の温かい抱擁を考えられるように。

われわれがこうしたことを考えるとき71年前にもここで同じように貴重な時間があったことを思い起こすことができる。亡くなった人々はわれわれと同じ人たちだ。

普通の人々はこれを理解すると私は思う。彼らは、さらなる戦争を望んでいない。彼らは、科学は生活をより良いものにすることに集中すべきで、生活を台無しにすることに集中してはならないと考えるだろう。

各国の選択が、あるいは指導者たちの選択がこの単純な分別を反映すれば、広島の教訓は生かされる。

世界はここ広島で永久に変わってしまったが、この街の子供たちは平和に日常を過ごしている。なんと貴重なことであろうか。これは守るに値し、すべての子供たちに広げていくに値する。これはわれわれが選択できる未来なのだ。

広島と長崎の将来は、核戦争の夜明けとしてでなく、道徳的な目覚めの契機の場として知られるようになるだろう。そうした未来をわれわれは選び取る。(了)

オバマ米大統領が広島で演説(全文):時事ドットコム

(略)

71年前の雲一つない晴れた朝、空から死が降ってきて、世界は一変した。閃光(せんこう)と火の壁が街を破壊した。そして人類が自らを滅ぼす手段を持ったことを明示した。

なぜわれわれはこの地、広島にやって来るのか。そう遠くない過去に放たれた恐ろしい力について思案するために来るのだ。10万人以上の日本人の男性、女性、子どもたち、数千人の朝鮮人、十数人の米国人捕虜を含む死者を悼むために来るのだ。彼らの魂は私たちに話し掛ける。そして彼らは私たちに内面を見つめるように求め、私たちは何者なのか、何者になるかもしれないのかを見定めるよう求めるのだ。

広島を際立たせているのは戦争の事実ではない。暴力的な紛争は原始人にも見られることが遺物から分かる。石英から刃物を作り、木からやりを作ることを学んだわれわれの祖先は、こうした道具を狩りだけでなく、同じ人類に対して使った。全ての大陸で、文明の歴史は戦争で満ちている。穀物の不足であれ金(ゴールド)への渇望であれ、国粋主義の熱狂的な扇動や宗教的な熱意であれ、帝国は興亡し、人々は支配されたり、解放されたりしてきた。節目節目で、罪のない人々が苦しみ、無数の死者を出し、彼らの名前は時間とともに忘れられた。

広島と長崎に残酷な結末をもたらした世界大戦は、最も豊かで最も強力な国々の間の戦いだった。彼らの文明は、世界の偉大な都市や素晴らしい芸術を生んだ。その思想家たちは正義と調和と真実についての考えを進展させた。しかし、最も単純な部族間紛争の原因となった支配や征服への同じ基本的な本能によって戦争へと発展した。古いパターンが新しい能力によって、新たな制約もなく増幅した。

数年の間に、およそ6000万人が亡くなった。われわれと何ら違いのない男性、女性、子供たちが、撃たれ、たたかれ、行進させられ、爆撃され、収容され、飢えさせられ、ガスで殺された。世界中に、この戦争を記録する多くの場所がある。勇気と英雄の物語を示す記念碑、言葉では言い表せない悪行がこだまする墓地や空になった収容所がある。

しかし、この空に立ち上ったきのこ雲の姿は、人間性の中心にある矛盾を最も鮮明に想起させる。われわれを種として特徴づけるひらめき、思想、創意、言語、道具を作ること、自然界から人類を区別し、自然をわれわれの意志に従わせる能力。これらがいかに、不相応な破壊力もわれわれに与えるかということを。

物質的な進歩や社会革新が、どれほどこの真実からわれわれの目をそらさせるのだろうか。われわれは、より高度な理由のため、暴力を正当化することをいかに簡単に学んでしまうのだろうか。全ての偉大な宗教は愛と平和と正義への道を約束するが、いかなる宗教にも信教を理由に人を殺すことができると主張した信者がいた。各国は犠牲と協調の元に国民を結束させる話を説きながら台頭し、偉業が成し遂げられるが、同時にこうした話は自分たちとは異なる人々を虐げ、人間性を奪う口実に利用されてきた。

科学のおかげで私たちは海を越えて交流し、雲の上を飛び、病気を治し、宇宙を理解するが、こうした科学的発見はより性能のいい殺りく兵器にも変わり得る。

近代の戦争は私たちにこの真実を教えてくれる。広島がこの真実を教えてくれる。技術は、人間社会の進歩を伴わなければわれわれに破滅をもたらす。原子の分裂へと導いた科学的革命は、モラルの革命も必要とする。

だから私たちはこの場所に来る。私たちはここ、この街の真ん中に立ち、原爆投下の瞬間を想像せずにはいられない。目の当たりにしたことに混乱した子供たちの恐怖を感じずにはいられない。われわれは声なき叫びに耳を傾ける。あのひどい戦争、これまで起きた戦争、そしてこれから起きる戦争で命を落とす全ての罪のない人々のことを忘れない。単なる言葉だけでこれらの苦しみを表すことはできない。しかし、私たちには歴史を直視し、こうした苦しみを食い止めるために何をしなければならないかを自問する共通の責任がある。

いつの日か、ヒバクシャの証言の声は聞けなくなるだろう。しかし、1945年8月6日の朝の記憶は決して薄れさせてはならない。その記憶のおかげで、私たちは自己満足と戦うことができる。その記憶が私たちの道義的な想像力をたくましくしてくれる。その記憶が私たちに変化を促してくれる。

そしてあの運命の日以来、私たちは希望を持てる選択をしてきた。米国と日本は同盟を構築しただけでなく、戦争を通して得られたものよりもはるかに多くのものを私たちにもたらした友情も築き上げた。

欧州の国々は、戦場を商業と民主主義の結束に変えた連合を構築した。抑圧された人々と国は自由を勝ち取った。国際的な共同体は、戦争を回避し、核兵器の存在を制限、縮小し、究極的には廃絶を目指すための制度と条約をつくった。

それでもなお、われわれが目にする国家間のあらゆる侵略行為、世界中でのあらゆるテロ、汚職、残虐行為、抑圧は、われわれの仕事が決して終わっていないことを示している。悪事を働く人間の能力をなくすことはできないかもしれない。そのため、国家、そしてわれわれが締結している同盟は、自身を守る手段を持つ必要がある。しかし、私の国のように核兵器の備蓄がある国は、恐怖の論理から抜け出す勇気を持ち、核兵器なき世界を追求しなければならない。私が生きているうちに、この目標を実現できないかもしれない。しかし、粘り強い努力によって破滅の可能性を低くできる。こうした備蓄の破棄につながる計画を立てることはできるし、他国への拡散や致死性の物質が狂信者の手に渡るのも阻止できる。

しかし、それではまだ十分ではない。今日の世界を見渡すと、最も粗末なライフルやたる爆弾でさえ、恐ろしい規模の暴力をもたらすことができる。われわれは外交を通じて紛争を防ぎ、起きてしまった紛争を終わらすため、戦争自体に関する考え方を変えなければならない。われわれの相互依存の拡大を暴力的な対立ではなく、平和協調への理念と見なそう。破壊の力ではなく、つくり上げるもので国を定義しよう。

そして、恐らく何にもまして、われわれは一つの人類の仲間として、お互いのつながりを改めて思い起こさなければならない。これも、われわれ人類を類ない存在としている。われわれは遺伝子情報によって、過去の過ちを繰り返すよう規定されてはいない。われわれは学ぶことができる。選ぶことができる。われわれは子供たちに別の物語を話すことができる。共通の人間性を描いたり、戦争の可能性を減らし、残虐さをそれほど簡単には受け入れたりしない物語だ。

われわれはヒバクシャのこうした話を知っている。原爆を落とした爆撃機のパイロットを許した女性がいる。本当に憎んでいたのが戦争それ自体だったと分かったためだ。この地で死亡した米国人の家族を捜し出した男性がいる。彼らと自分自身の損失は同じと信じていたからだ。

私自身の国の物語も、簡単な言葉から始まった。「全ての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」(米独立宣言)。この理想の実現は決して容易ではなかった。わが国内や国民の間でさえそうだった。しかし、この話に忠実であろうと努力する価値はある。それは、真剣な努力に値する理想であり、大陸そして海を越えて広がる理想だ。全ての人間の絶対的な価値を示し、全て生命は大切であるという揺るぎない主張だ。われわれは皆一つの人類という家族の一員であるとの根源的で必然的な考え方だ。これこそ、われわれ皆が伝えなければならない物語だ。

これが広島を訪れる理由だ。愛する人、自分の子供たちの朝一番の笑顔、台所の食卓越しの夫や妻との優しい触れ合い、心安らぐ親の抱擁といったことに思いをはせるためだ。こうしたことに思いを寄せると、71年前にここで同じように大切なひとときがあったということが分かる。亡くなった人々は、われわれのような人たちだ。普通の人には分かることだと思う。皆、戦争はたくさんだと思っている。科学の驚異は暮らしの向上に焦点を当てるべきで、命を奪うものであってはならないと考えている。国々やその指導者が決断を行うときにこの単純な知恵が反映されれば、広島の教訓は生かされたことになる。

世界はここで永遠に変わってしまった。しかしきょう、この街の子供たちは平和に一日を過ごすだろう。それは何と貴重なことか。それは守るに値することであり、全ての子供がそうあるべきだ。これこそわれわれが選択できる未来だ。広島と長崎が核戦争の夜明けとしてではなく、私たち自身の道義的な目覚めの始まりとして知られる未来だ。(時事)

Text of President Obama’s Speech in Hiroshima, Japan - The New York Times

オバマ大統領広島訪問 所感全文(その1) | 河北新報オンラインニュース

オバマ大統領広島訪問 所感全文(その2) | 河北新報オンラインニュース

オバマ大統領広島訪問 所感全文(その3) | 河北新報オンラインニュース

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