2016年4月20日水曜日

「記事の事前チェック」はアリなのか:日経ビジネス

「記事の事前チェック」はアリなのか:日経ビジネスオンライン

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高市発言がメディアを騒がせていたちょうど同じ時期。国家権力からの圧力にさらされる出来事が私自身にもあった。

「メディアに事前の原稿確認を断られたのは初めて。正直なところ驚いている」

スポーツ行政を一本化する狙いから、昨年10月に文部科学省の外局として誕生したスポーツ庁。その長官秘書を務める政策課の職員が電話越しに発した言葉に、私の方が驚いた。

経緯はこうだ。日経ビジネスでは3月7日号で特集「経営者本田圭佑が米国に進出するワケ」を掲載した。特集に合わせて、鈴木大地・スポーツ庁長官のインタビュー取材を設定してもらい、実際に話を聞く機会を得られた。その取材の数日後。政策課職員から人を介して記事の事前確認を求められたため、「お断り」のメールを入れたところ、今度は直接電話がかかってきた。再度メールと同じ説明を繰り返した後に飛び出したのが、この発言だった。

「“マスゴミ”が偉そうなことを言うな」「記事を確認するのは被取材者にとって当然の権利だ」。そんな意見を持つ方は少なくないと思う。だけど、高市発言が波紋を広げている今だからこそ、批判を承知であえて問うてみたい。「記事の事前チェックはアリなのか」と。

日経ビジネスでは、編集部内のルールとして、掲載前の原稿を被取材者に渡すことを禁じている。文章を書いた人に著作権が帰属する寄稿などの例外はあるが、それ以外の記事では掲載前の“生原稿”を渡し、それを確認してもらうことはない。

しかしである。スポーツ庁長官秘書を務める政策課職員は「これまで他のマスコミの取材では掲載前に原稿を確認している」と言うのだ。

「ああ、スポーツ庁は昨年10月にできたばかり。まだあまり取材を受けていないからよく事情が分かっていないのだな」。最初はそう理解したが、違った。この職員は文科省の官僚。スポーツ庁に限らず、過去の文科省幹部に対する取材について「事前にチェックしてきた」と言うのである。

大げさではなく、とても衝撃的だった。耳を疑い何度も確認したが、彼の答えは最後まで変わらなかった。

(略)

権力の逸脱をチェックする役割

既存メディアではない、雑誌・ネット媒体の記者やフリージャーナリストは、場合によって原稿の事前確認を取材先にお願いすることもあり得るのかもしれない。次回以降の取材を再び設定してもらえるよう、取材先に“貸し”を作る場面が考えられるし、専門的な細部の正確性が記事の価値を大きく決めるケースなどが想定されるからだ。

しかし、文科省の記者クラブに所属している既存メディアが同じことをしたらダメだ。彼らは文科省の幹部にも比較的容易に取材アポイントが取れるような立ち位置にいる。いわば権力に近い存在。そうした特権が黙認されているのは、極めて近い位置から権力をつぶさにチェックし、逸脱があればそれを明らかにする役割を国民から期待されているからに他ならない。その役割を放擲するならもはや存在価値はない。

「存在価値はない」と言い切ったのは理想論からではなく、危機感からだ。最近はインターネットのニュース共有アプリが人気を博している。ユニークな切り口の読み応えのある独自コンテンツを配信しているところも多い。ネットと紙主体という媒体特性の違いに胡坐をかいていたらすぐに侵食されてしまう。最終的に既存メディアの拠り所となるのは、相対的に権力に近いが故に可能となる権力のチェック機能しか残らない。そんな危機感があるからだ。

企業・個人の場合はアリなのか

「権力」はなにも国家だけに限らない。日経ビジネスは昨年、東芝の米原子力子会社ウエスチングハウスで巨額減損が発生していた事実を明らかにした。「ウエスチングハウスが真っ赤なのは分かっていた」とネットでは言われたが、単に噂を論じるのと事実を示すのとでは雲泥の差がある。実際、本誌の報道を受けて、初めて東芝はウエスチングハウスの単体決算を開示することになった。

権力や大企業の逸脱を見抜き、それを世に問うことで是正していく機能は、既存であろうが新興であろうがメディアの変わらぬ役割のはずだ。高市発言に見るように、国家権力によるメディア介入があからさまになりつつある。そのような状況下だからこそなおさら、どのような内容の記事であれ、それを墨守すべきだと思っている。

では、国家や大企業ではない、個人への取材についてはどうだろうか。

この点については意見が分かれるところだろう。個人と言っても、会社社長とヒラ社員とでは立場も責任も異なるため、一概に論じることはできない。個人の場合には、取材するメディア側がむしろ権力となり、記事によって相手の社会的信用や名誉を傷つけてしまう恐れもあるのは事実だ。

ただ、リスクがあるからといってむやみに記事の事前チェックを行うことには抵抗がある。記事掲載後の反響についても記者自身がきちんと見定めた上で、自らの責任において記事を世に出すべきだと考えているからだ。そうでなければ、自らの存在価値を貶めることになってしまうだろう。

理系大で卒研してたころ、研究室の教授が「記事の寄稿や取材対応したあと、日経だけが出版前の事前チェック無しで困った。他の出版社は事前チェックが出来て間違いを訂正できたりしたが…」とこぼしていたのを思い出した。日経エレ辺りだったような。

少なくとも科学系は事前チェック必須だと未だに思う。英字1文字の大文字小文字が変わるだけでも意味がまるで変わる世界だし。1m(ミリ、1/1000)と1M(メガ、1000000)とか。

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